戦う骨無し女の日記

9年前の事故が原因で、骨無し女になりました。いつも楽しく過ごせるように、
ブログを始めました。写真と、エッセイと小説を書いてます。
アメブロで、エッセイと小説と雑文など、載せてます。よろしければ、遊びに来てくださいね!
https://ameblo.jp/daisysackyです。

骨無し女の秘密 4

こんばんは!

暇人です!

中々、続きを書けずにおります…

すみません!😣💦⤵

こんな闘病記、誰が読むのだろう…

そう思ってましたら、読んでいただきまして、ありがとうございます!

コメント、お返事を!

と思うのに、返事の仕方がわからない😅

という…情けないことになりまして。

読んでおりますよ、

この場をお借りして、お礼申し上げます!

…………と、固い話は、この辺にして…

血液内科に行くことになったとこまで、ですよね?

この間にも、色々ありました。

実を言うと、感染症になって、人口関節を入替えも、もう一回しております。

怪我した当初、高校二年生だった娘も、

大学生になっていました。

入院の間に、受験して、退院する頃には、大学生。

そして、大学に通う間に、ちょこちょこ入院退院しておりました。

悪いことばかりでは、ないのです。

いいことも、もちろん、ありました。

本来なら、下宿するはずなのに、電車通学を

私のことを心配して、電車通学を選択してくれました。

家族のサポートなしでは、語れません…

そして、悪性リンパ腫の疑いで、血液内科のある病院へ、転院しました。

そこでは、骨髄せんしや、リンパ節生検など、検査の日々。

あんなに、ふらふらで、高熱が出てたのに、

転院してまもなく、安心したのかなんなのか、みるみる元気を取り戻し、

主治医も、びっくりする状態でした。

「検査結果が出たら、抗がん剤治療しようね」、と言われて、検査の日々。

だけど、ここでまたしても、原因不明!

「おかしいねぇ~」

と、先生も頭をかしげる。

その間にも、やはりまた、人口関節が外れて、上腕が骨折してることもわかり、

でも、原因がわからないうちは、手術もできず、痛みをかかえながら、暮らしておりました。

先生には、「左手が原因の不調だから、内科的には、切断を!」

と言われましたが、どうしても、決断出来ず…

家族に意見を聞いたことも。

お姑さんは、「もう、いいんじゃない?」

と、暗に諦めろ的なことを、言われたり。

だけど、救いだったのは、主治医の先生が、

顔はインパクトがあるのに、とても優しかったこと。とても親身になって、専門外のこと

(整形外科)も、勉強してくれました。

1日三回くらい、のぞきに来てくれ、

土日も、必ず来てくれました。

まるで、「神様のカルテ」の先生みたい!

白血病の人と、仲良くなったり。

ガラスで閉鎖された部屋は、無菌室だよ、

と教えてくれたり。

ガン患者のおばあさん達と、いつの間にか、

日の出を眺めるようになり…

「朝一番の、太陽を見ると、元気になるんだよ」と、教えられたこと…今でも忘れません。かけがえのない思い出です。

結果、大学の先生に見てもらい、

ようやく、悪性リンパ腫ではない。

これは、左手から来てる…と、判断されて、地元の病院に、はれて帰りました。

その代わり、「これはとても珍しい症例で、

学会に発表しても、いいですか?」と言われ、そして先生は、

「このまますぐに手術しないで、大学病院を紹介してもらった方がいいよ!」と、入れ知恵してくれました。

この時の一言が、私の運命を大きく変えたのですが、その話は、また後日にいたしましょう。

この先生との出会いは、私にとって、とても

大きな意味をもちました。

命拾いをしたのです…


つづく!