骨無し女の秘密 4
こんばんは!
暇人です!
中々、続きを書けずにおります…
すみません!😣💦⤵
こんな闘病記、誰が読むのだろう…
そう思ってましたら、読んでいただきまして、ありがとうございます!
コメント、お返事を!
と思うのに、返事の仕方がわからない😅
という…情けないことになりまして。
読んでおりますよ、
この場をお借りして、お礼申し上げます!
…………と、固い話は、この辺にして…
血液内科に行くことになったとこまで、ですよね?
この間にも、色々ありました。
実を言うと、感染症になって、人口関節を入替えも、もう一回しております。
怪我した当初、高校二年生だった娘も、
大学生になっていました。
入院の間に、受験して、退院する頃には、大学生。
そして、大学に通う間に、ちょこちょこ入院退院しておりました。
悪いことばかりでは、ないのです。
いいことも、もちろん、ありました。
本来なら、下宿するはずなのに、電車通学を
私のことを心配して、電車通学を選択してくれました。
家族のサポートなしでは、語れません…
そして、悪性リンパ腫の疑いで、血液内科のある病院へ、転院しました。
そこでは、骨髄せんしや、リンパ節生検など、検査の日々。
あんなに、ふらふらで、高熱が出てたのに、
転院してまもなく、安心したのかなんなのか、みるみる元気を取り戻し、
主治医も、びっくりする状態でした。
「検査結果が出たら、抗がん剤治療しようね」、と言われて、検査の日々。
だけど、ここでまたしても、原因不明!
「おかしいねぇ~」
と、先生も頭をかしげる。
その間にも、やはりまた、人口関節が外れて、上腕が骨折してることもわかり、
でも、原因がわからないうちは、手術もできず、痛みをかかえながら、暮らしておりました。
先生には、「左手が原因の不調だから、内科的には、切断を!」
と言われましたが、どうしても、決断出来ず…
家族に意見を聞いたことも。
お姑さんは、「もう、いいんじゃない?」
と、暗に諦めろ的なことを、言われたり。
だけど、救いだったのは、主治医の先生が、
顔はインパクトがあるのに、とても優しかったこと。とても親身になって、専門外のこと
(整形外科)も、勉強してくれました。
1日三回くらい、のぞきに来てくれ、
土日も、必ず来てくれました。
まるで、「神様のカルテ」の先生みたい!
白血病の人と、仲良くなったり。
ガラスで閉鎖された部屋は、無菌室だよ、
と教えてくれたり。
ガン患者のおばあさん達と、いつの間にか、
日の出を眺めるようになり…
「朝一番の、太陽を見ると、元気になるんだよ」と、教えられたこと…今でも忘れません。かけがえのない思い出です。
結果、大学の先生に見てもらい、
ようやく、悪性リンパ腫ではない。
これは、左手から来てる…と、判断されて、地元の病院に、はれて帰りました。
その代わり、「これはとても珍しい症例で、
学会に発表しても、いいですか?」と言われ、そして先生は、
「このまますぐに手術しないで、大学病院を紹介してもらった方がいいよ!」と、入れ知恵してくれました。
この時の一言が、私の運命を大きく変えたのですが、その話は、また後日にいたしましょう。
この先生との出会いは、私にとって、とても
大きな意味をもちました。
命拾いをしたのです…
つづく!
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