戦う骨無し女の日記

9年前の事故が原因で、骨無し女になりました。いつも楽しく過ごせるように、
ブログを始めました。写真と、エッセイと小説を書いてます。
アメブロで、エッセイと小説と雑文など、載せてます。よろしければ、遊びに来てくださいね!
https://ameblo.jp/daisysackyです。

骨無し女の秘密 6

こんばんは!

暇人です!

今日は、朝から雨が降っていました。

小学生も、終業式だったみたいですね~

大きな荷物を抱えて、

帰っていくのを見かけました。

さて、お散歩ブログは、お休みするので、

かわりに、昨日の続きです…

異常が出てから、一ヶ月以上たって、ようやく、大学病院にたどり着きました。

その頃の私は、脾臓が腫れ、肝臓にも異常が。さらに、白血球が減少、溶連性貧血で、

味覚障害、左手の腫れ、などなど、最悪の

状態で…

部屋も、創外洗浄の予定になっており、

個室が準備されていました。

(創外洗浄とは、キズを外から、24時間洗浄する…寝たきり生活を意味してました。

ま、結局、しなかったのですが)

そして、お医者さんの説明は、

「骨を固めてしまうか、

人工関節の入れ換えか、最悪切断を覚悟してください」

と言われました。

整形のお医者さんというのは、

せっかく、指が動くのに、切断するのは、

モッタイナイ…という意見なのです。

義手は、使いこなすまでが、大変だし、

痛みが激しいし、感覚も、まったく違うから

、おすすめしない…

そういう、スタンスなのです。

そして、とりあえず、人工関節を抜きました。初めての骨無し生活の始まりでした。

もちろん、入院中での1ヶ月間、骨無し生活は、したことありました。が、看護師さんの介助付きだったし、日常生活の経験は、

この時は初めてでした。

まずは、主治医の先生は、この謎の状況の

原因解明をしていました。

感染症なのか?

アレルギーなのか?

先生がふと、「まさか、金属アレルギー?」

と言った瞬間、

あっ!と思い当たる節が!

私の母親は、金属アレルギー。

最初の手術の時、

「アレルギーの検査、してください」

と言ってたのを、思い出したのです。

その当時は、アレルギー検査は、実施せず。

確かに、プレートが入ってるとき、かなりの

痛みを感じていたので、不思議に思っていたのです…

時計も、痒くてハメラレナイし。

指輪もそうだし。

もしかして…

と思い、検査をしました。

入院中に、なんと、21種類の金属で、パッチテストを実施しました。

そうして、わかったのです…

この、全身に及ぶ異常の原因を!

首筋には、4ヶ所、胸には、三ヶ所、

鼠径部や、腕などにも、シコリが出来るほどの異常…

それはなんと!

重度の金属アレルギーが、原因だったのです…

今日は、この辺まで。

続きはまた後日にいたします。

ここまでお付き合い下さいまして、

ありがとうございます!


できれば、またのお越し、

お待ちしております!

骨無し女の秘密 5

こんばんは!

暇人です!

今日は、整形外科診察と、リハビリでした。

お花の教室へ行ったりとしてたので、

お散歩ブログは、お休みです。

なので、続きを書くことにしました。


まずは、読んで頂いてることに、感謝します!人の闘病の記録なんて、読んでても

楽しくはないのに、ありがたいです😌😌

9年半になりますが、ここで経験したことを、参考にして、オムニバス小説で書いてます。あくまでも、モデルなんですけどね…

(stories1 元気になるためのサプリ)

転んでも、ただでは起きない❗精神ですね😜

さて、続きです。

血液内科から、地元の病院へ戻りました。

そこでは、人工関節を抜いて、入替えをしようと、主治医が待ち構えていました…

早速、同意書を持ってきた、先生。

ところが私たちも、今回はいいなりにはなりません。

大学病院を紹介してください!

と、お願いしました。

私は、散々お世話になっている先生には、

とてもお願い出来ません…

ダンナが、先生、チャット待った!

と、言ってくれました。

先生はためらいつつも、学会で顔見知りの

先生がいるからと、今かかっている大学病院

を、紹介してくれました…

だけども、先生は少し気を悪くしたらしく、

その後の段取りは、看護師長さんに任せてしまい、病室に顔をのぞかせることは、ありませんでした…

その時初めて、セカンドオピニオンの壁を感じました…

大学病院に行ったものの、初めは、教授も

及び腰…

「今の先生でも、十分だと思いますよ~」

と言う。

だけど、これほど度重なるトラブルは、きっと何か他に、原因があるに違いない!

頼み込んで、どうにか手術してもらえることになり、一旦、地元の病院に戻り、新たに

転院する事になりました。

地元のお医者さんは、その時は、あきらめて自分の元に戻るだろう…と思ってたみたいでした。

何しろ、手続きが面倒ですからね!

だけど、私達の意思は強くて、転院する気持ちになっていましたから、先生は、気を悪くしたみたいで、二日後手続きが出来ましたよ!という連絡が来たときには、追い出されるように、こそこそと、病院から病院へと、

移動したのでした…


そして、新たな戦いが始まりました。

その話は、また後日、書きたいと思います。

ここまで読んで頂いて、ありがとうございます!

骨無し女の秘密 4

こんばんは!

暇人です!

中々、続きを書けずにおります…

すみません!😣💦⤵

こんな闘病記、誰が読むのだろう…

そう思ってましたら、読んでいただきまして、ありがとうございます!

コメント、お返事を!

と思うのに、返事の仕方がわからない😅

という…情けないことになりまして。

読んでおりますよ、

この場をお借りして、お礼申し上げます!

…………と、固い話は、この辺にして…

血液内科に行くことになったとこまで、ですよね?

この間にも、色々ありました。

実を言うと、感染症になって、人口関節を入替えも、もう一回しております。

怪我した当初、高校二年生だった娘も、

大学生になっていました。

入院の間に、受験して、退院する頃には、大学生。

そして、大学に通う間に、ちょこちょこ入院退院しておりました。

悪いことばかりでは、ないのです。

いいことも、もちろん、ありました。

本来なら、下宿するはずなのに、電車通学を

私のことを心配して、電車通学を選択してくれました。

家族のサポートなしでは、語れません…

そして、悪性リンパ腫の疑いで、血液内科のある病院へ、転院しました。

そこでは、骨髄せんしや、リンパ節生検など、検査の日々。

あんなに、ふらふらで、高熱が出てたのに、

転院してまもなく、安心したのかなんなのか、みるみる元気を取り戻し、

主治医も、びっくりする状態でした。

「検査結果が出たら、抗がん剤治療しようね」、と言われて、検査の日々。

だけど、ここでまたしても、原因不明!

「おかしいねぇ~」

と、先生も頭をかしげる。

その間にも、やはりまた、人口関節が外れて、上腕が骨折してることもわかり、

でも、原因がわからないうちは、手術もできず、痛みをかかえながら、暮らしておりました。

先生には、「左手が原因の不調だから、内科的には、切断を!」

と言われましたが、どうしても、決断出来ず…

家族に意見を聞いたことも。

お姑さんは、「もう、いいんじゃない?」

と、暗に諦めろ的なことを、言われたり。

だけど、救いだったのは、主治医の先生が、

顔はインパクトがあるのに、とても優しかったこと。とても親身になって、専門外のこと

(整形外科)も、勉強してくれました。

1日三回くらい、のぞきに来てくれ、

土日も、必ず来てくれました。

まるで、「神様のカルテ」の先生みたい!

白血病の人と、仲良くなったり。

ガラスで閉鎖された部屋は、無菌室だよ、

と教えてくれたり。

ガン患者のおばあさん達と、いつの間にか、

日の出を眺めるようになり…

「朝一番の、太陽を見ると、元気になるんだよ」と、教えられたこと…今でも忘れません。かけがえのない思い出です。

結果、大学の先生に見てもらい、

ようやく、悪性リンパ腫ではない。

これは、左手から来てる…と、判断されて、地元の病院に、はれて帰りました。

その代わり、「これはとても珍しい症例で、

学会に発表しても、いいですか?」と言われ、そして先生は、

「このまますぐに手術しないで、大学病院を紹介してもらった方がいいよ!」と、入れ知恵してくれました。

この時の一言が、私の運命を大きく変えたのですが、その話は、また後日にいたしましょう。

この先生との出会いは、私にとって、とても

大きな意味をもちました。

命拾いをしたのです…


つづく!